高校卒業後、英語が話せるようになりたいという強い思いからすぐに渡米。日本から近い西海岸の3州の中で最も安全そうな響きだった”オレゴン”を初めの渡米地としました。まずEnglish as a Second Language (英語を母国語としない人のためのコース)で、毎日英語の文法・読み書き・英会話を学びました。しばらくすると、英語で理科や数学、社会科などの学問のクラスを取りたいと思うようになり、その時点の英語レベルでも入学できるCommunity College(短大のような学校)でクラスを取り始めました。初めのうちは教授の話がさっぱり分からず、教科書を10回近く読んで課題や試験をなんとか乗り越えたという感じ。マークシート式の試験だったので、鉛筆を転がして勘だけを頼りに答えを書いてきたこともありました。今から考えると、とっても危険な試験をいくつも潜り抜けてきたように思います。
 2年近くも経ちますと、現地の友達と交流したりする中で、英語のレベルもかなり上がり、課題も意図を把握して仕上げることが出来ましたし、試験でも“教授の聞いておられるポイント”をしっかりと理解して答えられるようになっていました。
 専門課程で何を勉強したいかは、明確でした。私が高校2年生のときに父が心臓のバイパス手術をしたことをきっかけに、食が人間に与える影響を深く考えるようになり、一番興味のある分野でした。インターネットで ”Nutrition(栄養)” 学部の有名な大学を検索したところ、University of California, Davisが一番にヒット。その落ち着いたホームページを目にした瞬間、私の行く学校だと直感しました。普通は滑り止めにいくつかの学校に願書を出すものなのでしょうけれど、周りの意見も聞かず、私はUC DAVISにだけしか願書を送らなかったのです。勝手な思い込みで、なんとなく大丈夫な気がしていました。しかしUC系の学校では、英語のレベルや前の学校での成績によっては平気で却下して来ると聞きましたので、今から思うとあれは大変危険な賭けでした。 念願叶い、そして運にも助けられ、無事UC DAVISから合格通知が届いた時には天にも登る気持ちでした。富山中部高校に合格した時とこの時の感動は、これまでの人生での上位を占めています。
こうしてカリフォルニアの大学に編入することになったのですが、アメリカの大学はよく「入ることよりも卒業するのが難しい」と言われます。まさにその通り。常に単位を落とさないように各教科頑張って点数を取り続けていないと、平気で落とされます。インターナショナルの学生だからと言って、現地人より甘く見てくれることなどありませんから、現地人と対等勝負です。明けても暮れても勉強していた感覚です。試験が近づくと、図書館にこもりました。学校全体が勉強ムードでしたから、周りからの良い影響も受け、勉強に集中できる最高の環境だったと言えるでしょう。現地人と一緒に勉強することで、授業で聞き落としたポイントを補充出来たり、課題を一緒に仕上げたりも出来ました。UC DAVISでの2年半は、課題と試験に追い回されて辛かったものの、大変充実していました。
 良い教授、友人、環境に恵まれたこと、そして何よりも一番の理解者だった両親に心から感謝しています。
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